17歳のときに幼馴染
数人でバンドをやろうと
いう話になりました。
思い返せば
もう23年前のことです。
本当、大昔の話ですが
記憶は鮮明です。
はじめてライブすることが
決まった頃、父親から
「今度、リサイタルやるらしいの」
と言われ、あまりの世代差に
驚愕したものです。
父ちゃん
今どきリサイタルを
やってるのは
和田アキ子か
ジャイアンぐらいだよ。
ライブ…と、呼んで^^;
と、懸命に説明したら
「小さなにこだわるな」
と、ドヤ顔で言われ
父親の偉大な背中を見たような
取り残されていく
父親を心配するような
不思議な気持ちだった
記憶があります。
別に嫌な訳では
ありませんでしたが
とても田舎者な家族でした(笑
バンドはプロになることを
目標に結成しますが
高校生のよくある話で
大学受験シーズンになると
練習にあまり参加しなくなり
「俺、東京の大学受験するよ」
といいながら
その話から離脱する
メンバーが現れます。
どこにでも
転がっている話で
みんな17歳、18歳の頃なんて
将来のことを具体的に
考えることができないものです。
高校卒業直後
1歳年上の先輩が
インディーズながら
全国区で人気になり
ツアーを支えるスタッフが
欲しいという事で
ついて回ることになります。
誘ってくれたのは
メンバーで
中学生時代の
野球部の先輩です。
インディーズなのにTV朝日で
毎週のように特集されるような
とてつもない人気バンド。
そこから約1年、彼らが
メジャーデビューまでの間
お給料をもらい
機材車の運転や
機材のセッティングを
するような役割で
全国を周わらせてもらいました。
当時はまだ
インディーズだった
Janne Da Arcや
SEX MACHINEGUNS
それ以外にもメジャーデビュー
した多くのバンドメンバーと
楽屋や打ち上げに同席したり
機材のセッティング
多くのこだわりを
間近でみたり
感じたりすることが
できました。
20歳で第一線で活躍する
アーティスト陣と交流できる
日々に興奮と
自分自身を早く成長させたい
という焦りを持ったものでした。
ただ、自分自身に
ギターのセンスがなく
親との約束だった
22歳までにメジャーデビュー
という約束が果たせなかった
こともあり23歳でバンドは解散。
ギターを辞めました。
あれから17年
ほとんどギターを
弾いていません。
だから、今も
趣味でギターを
弾くこともありませんし
ギターが趣味ということも
ありません。
自分は、ギターを弾くことが
好きだったわけではなく
自分が信じたメンバーと
人生をかけて何かに挑戦
することがしたかったから
その手段としてバンドを
選択したんですよね。
心の底から
信頼できる仲間との
時間がどれほど大切か。
まあ、センスがないので
うまくいきませんでしたが。
そう考えると
本当の仲間を集めるという
採用活動を仕事にするのは
とても自然なことのように
思えます。
採用という仕事が好きなのは
仲間集めにワクワクするから
かもしれません。
あまり振り返らないように
していた過去の記憶ですが
振り返えることで
時間がたったことで
気づけることが
あるものです^^;
─── ぐっとくる会社を、もっと。 ───
株式会社シナジー
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