《前編》シナジーで育ち、シナジーを育ててきた役員オハマの軌跡

ー小濱さんって、どんな業務をしてらっしゃるんですか?

今は執行役員として、主に会社全体の
経営に関わっています。

ー33歳にして執行役員…!なんだか偉そうな響きです。シナジーに入社した経緯を教えていただけますか?

僕が大学を卒業した時は、就職先が
決まっていませんでした。岡山で1~2ヶ月ほど
ニート生活を送りましたが、
「流石に働かんとなぁ」と思って。
第二新卒のインターンシップを
募集している会社があって、
それがシナジーコミュニケーションズだったんです。
(シナジーグループの中で警備を行っている会社)
当時の彼女が東広島、西条に
住んでいたこともあって、インターン後に
シナジーコミュニケーションズに入社しました。

業務内容は、警備員を配置したり、
教育したりする「ディレクション」です。
当時はリーマンショックの翌年くらいで、
有効求人倍率も1を切っていましたし、
仕事のほうが少ないような状況だったので、
警備員として登録している方は多かったです。
入社3ヶ月で上司が辞めてしまったので、
そこから130人ほどの警備員さんを管理していました。
多い日だと、60〜70人が
稼働しているような状況でしたね。

ー入社3ヶ月で上司がいなくなるなんて…大変そうです。

当時は結構アナログな会社で。
入って数ヶ月ながら、改善できる仕組みが
いくつかあったので、
朝5時から夜遅くまで働いてましたね。

ーしんどい日々が続いて、やめようとは思わなかったんですか?

当時から独立志向があって、3年は続けようと
思ってたんです。
僕は理学部の数理情報っていう数学を勉強するところ
の出身で、周りに教師になる同級生が
多かったんですね。
それから、高校の同級生は大手の銀行に勤めてる人も
多かった。「周りに負けたくないな」っていう気持ち
が強かったです。
特に就職も普通の新卒より出遅れていたので。。

あとは、社内に同期もいなくて上司も辞めて
しまったので、裁量権がある程度あったんです。
入って半年で経営計画を作って、
金融機関や社長の前で報告することもありました。
夜残っていたのは、仕事もしていましたが、
経営の本を読みながら事業計画を作るためでも
ありました。

1年半ほど、シナジーコミュニケーションの方で
働いて、それからシナジーの人材派遣の方に
移りましたね。

ーシナジーは事業が複数ありますものね。

そうですね。
ビルメンテナンス、人材サービス、
経営・採用コンサルティング、指定管理、
それから警備事業を行っています。

ー小濱さんは、シナジーコミュニケーションズで中心的な存在になっていたのにも関わらず、どういう経緯で人材派遣の部門に異動になったんですか?

当時、今やってる「未来会議」のような管理者の合宿
があったので、直談判をして
「このまま続ける気はない。人材派遣の分野で
あれば、自分ももっとやれると思う」
と異動を申し出ました。

ー直談判したんですね(笑)

小さい会社だったので。ある程度成果も残しているし
「まぁ行けるだろう」みたいなことを思ってました。
調子に乗ってましたね(笑)

ー今思い出してみて、当時苦労したことなどはありますか?

2年目になり、初めて部下ができたんです。
10歳位年上の。
とても人当たりが良い営業マンっていう感じの
人でした。その時に
「どうやったらこの人に動いてもらえるかな?」
っていうのは考えてましたね。

それから、人材事業のほうに移ってからは取引先を
探すのに苦労しました。
当時は東日本大震災があった年で、かなり不景気
だったと思います。
面接にたくさん人は来るけれど、派遣先が少ない、
といった状況でした。
僕は面接もたくさんして人を採用しながら、
テレアポで派遣先の企業さんを探す日々です。

そんな中、当時90%ほどのボリュームを占めていた
派遣先で、僕が採用したスタッフさんがトラブルを
起こしてしまいました。
結果「シナジーからはこれ以上人を新規で入れない」
という事態に…。

そこから本気で営業を頑張りました。毎日テレアポを
して、毎回手紙を書いて…。その結果お客様の助けも
あり、まいた種が花開いたんですね。
当時30,40名ほどだった派遣スタッフが3年で170名
ほどになり、売上も3年で3倍になりました。

面接に来てくれる人がかなり増えたので、そこで
だいぶ面接もしましたし、派遣社員の転職相談にも
乗りましたね。
1ヶ月あたり80~100人くらいはスタッフさんを見てました。

ー20代を振り返って、記憶に残ってる仕事ってなんですか?

毎月の売上を出す時が楽しかったですね(笑)
どんどん上がっていくのを見るのが快感でした。
数字だけでなく、会社内で過去にないことを自分が
できていることに嬉しさがありました。それから、
お客さんのところに行って話すのも楽しかったです。
「お客様や派遣社員さんの趣味や求めている
情報は何か」ということを常に考えて、
そういう引き出しを持って接していましたね。
あとは、派遣社員として紹介した人たちが、派遣先の
正社員として雇われる経験も嬉しかったです。

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入社〜2015年ごろまでが、小濱のいわゆる
「爆上がり時期」だったとのこと。
どんどん上がっていく売上や、人に喜んでもらえる
ことに喜びを感じていたそうです。

シナジー歴の長い小濱が「逃げ出したかった」時期の
話や、緊張のあまり蕁麻疹だらけになった話、
逆求人イベントや自分の法人を立てた話などは、
後編にてご紹介します!