創業者の大武会長に聞く!創業までの軌跡

今回は、株式会社シナジーの創業者である
大武会長に、シナジー設立までの歩みについて伺いしました。

ー本日はよろしくお願いします。

あまり話すのは得意ではないのですが、よろしくお願いします。

ー早速ですが、大武会長の創業前のエピソードについてお聞きしていきたいと思います。

はい。私は大学に行っておらず、高校を卒業した後
すぐに広島で働きはじめました。
昭和54年4月のことです。

広島市内や呉・福山の信号機を制御する会社へ入り、
管制センターの大型コンピューターをプログラミング
したり、機械のメンテナンスをしたりしていました。

保険会社や郵便局の端末の修理なんかもありながら、
7年半ほどは働きました。

ー高校を出てから25歳くらいまでは、同じ会社で働いていらっしゃったのですね。

そうですね。
昭和61年の8月ごろに退職したのですが、
親族の会社から「うちに来ないか」と誘いがあったので、そちらに入りました。

建物のメンテナンスをする会社です。
その時の経験で、今の我が社があります。
1億1千万円くらいの小規模の会社でしたかね。

ー建物のビルメンテナンス、というと具体的にはどういった仕事になるのでしょうか?

ほとんどが清掃業です。
店舗の床の清掃とか、新築の引き渡し前の建物の清掃とかですね。
あとは、害虫駆除をすることもあれば、空気環境測定などもしていました。

ほとんどが、大きな会社から仕事をもらっておこなう下請け業でした。

ーはじめはなにか特別な思いや目標があったわけではないんですね。

そうですね。ただ、働いていると会社の内情もわかるじゃないですか。
売上は1億ちょっとしかないのに、なんと2,000万円以上の大赤字だったんです。

利益が出るといったら、12月と年度末の3月だけでほかの月は全部赤字。
「これは立て直さにゃいけん」と考えました。
「自分に何ができるかな」と思った時に、辞められない状況というか。

ー20代後半で、会社の立て直しを決意なさったんですね。

2年で辞めるつもりで入ったはずなんですけどね。

入社した年の年末、県のとある現場に
蛍光灯の掃除へ入った時に、掃除のスタッフさんから
「どこの会社?」って
聞かれたことがあったんですよね。

それで、名乗るじゃないですか。そうすると
「そんな会社知らんの〜、聞いたことないわ」と
小馬鹿にされまして。

悔しい思いをしたこともあって「見返してやるぞ」
みたいな気持ちにもなったんです。

それで、その会社の足りないところを考えた時に、
自社の直の仕事がほとんどなかったんですよ。

直接お仕事をもらっているのは、
地元のスーパーだけでした。
だから直接のお客さんを増やさないといけないだろう、と常々思っていたんです。

ー下請けばかりだと利益率はどうしても下がってしまいますものね。

そうです。
それで入って半年くらいで営業を始めました。
飛び込みするまでは3日かかりましたけれど…。

「実際にやってみないとわからない」と
自分を奮い立たせて、営業をはじめました。

まず始めたのが、新築の現場です。

ビルや店舗などの建物の工事をしているところへ
行って、現場の監督さんと話をするために何回も通いました。

仲良くなったら、
ビルのオーナーさんを紹介してくださいねっていう話を持っていくんですよ。
7割くらいは決まりよったですかね。

そこからどんどん紹介を頂いて、
私がいる間には売上を3億以上まで伸ばすことができました。

ー足を使って、取引先を増やしていったのですね。

最初は分からないことだらけでしたけどね。
下請けばっかりだったから、適切な見積もりの仕方も知りませんでした。

社長も分かってなかったし、当時はインターネットが
発達している訳でもないですから、調べるのも苦労はしました。

ただ、段々と大きな仕事も取れるようになってきて、
テナントとか工場とかの仕事は増えていきましたね。

ところが、利益率は上がっていっても、今度は
「従業員が定着しない」という問題が起こりました。

朝は早いし夜は遅い、その上休みもほとんどなかったですから仕方ないとは思いますけどね。
結局、外注さんに入ってもらうことで、そこは解消しました。

そうやって、9年と半年いましたか。

ー10年近くお勤めになって、自分で会社を作るに至った理由が気になります。

自分が辞めようと思って辞めたというよりは、辞めざるを得なかったんですよね。
社内の人間関係でゴタゴタがありまして。

早朝から出社し、夕方に帰宅してもまた夜勤に行って、身を粉にして働いてきたつもりでしたが…。
その時に妻が「あなたなら独立できる」と励ましてくれたんです。

彼女は市の職員として働いていて収入も
安定していたのと、
「これくらい(稼いで)持って帰ってきて
くれたら良いから」と
後押ししてもらえたことで、独立に踏み切ったというわけです。

ー家族からの後押しもあって、独立することができたのですね。

1995年、35歳のときですね。
1月に前職を辞めて、2月に会社を立ち上げるという慌ただしさでした。

自宅に机を1つ構えて事務所にし、
「有限会社ビルテックサービス」という社名でスタートしました。
前職でやっていた、
ビルメンテナンスの会社ですからね。

2月で250万円ほど売上があり、
3月は995万円くらい。
年間1,000万円という目標を置いていましたが、
ものの2ヶ月で達成してしまいました。

ーかなり順調な滑り出しですね!前職のつながりなどがあったのでしょうか?

ビルメンテナンス協会というところの青年部に入っていたんです。
そこの繋がりで仕事をたくさんいただけました。

おかげさまで、その年の売上は4,300万円。
ただ自分ひとりの会社だったので、外注の方にかなり頑張ってもらいました。
利益も出て、十分な結果だったと思います。

ーそこから、どんな軌跡を辿ってきたのかが気になります!次回は、後編として会社の立ち上げ2年目からのエピソードを伺いたいです!